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こんにちは。こななです!巷でよく聞く「ライスワーク」という言葉に対して、最初は抵抗がありました。
「今の仕事は生きるためのお金を稼ぐ目的でやってるんだよね。」という話、よく聞きませんか。
やりたいことができない仕事に名前をつけただけで、なんだか諦めているのではと。
でも今は、この考え方が自分の人生をちょっと楽にしてくれたと感じています。
私自身の体験も踏まえつつ、仕事に対する一つの考え方についてお話しします。
「ライスワーク」という考え方が受け入れ難かった
やりたいことができない仕事をやっていて、楽しいんだろうか。
そんな働き方で続くのか——と、当時は思っていたんです。
「ライスワーク」って、諦めの言葉なんじゃないかと感じていました。
「仕事はお金のためだけでいい」と割り切っている人向けの話で、自分には関係ないというか。
やりたいことを仕事にできている人が正解で、そうじゃない人はまだ諦めていない、みたいな思い込みが頭にあったんだと思います。
みんな最初はそこからだと知った
転職を繰り返すうちに、少しずつ気づいてきたことがありました。
どこへ行っても、最初はそういう状況なんですよね。
「やりたいこと」をすぐにやらせてもらえる環境なんて、ほとんどない。
本を読んでも、いろんな人の話を聞いても、みんな最初はそこからスタートしていた。
キャリアの話をしている人でも、独立した人でも、「最初の数年は淡々とやっていた」という話はけっこう出てくる。
「自分だけがうまくいっていない」みたいな感覚がどこかにあったんですけど、そういう話に触れるたびに、すこしずつほどけていきました。
「ライスワーク・ライフワーク」を自分なりに定義し直した
そのうち、「ライスワーク」という言葉を自分なりに捉え直してみるようになりました。
ライスワークは、生きるための糧を稼ぐ仕事。
ライフワークは、自分が心から続けたいこと。
名前がついていないころ、この2つは頭の中でごちゃごちゃになっていました。
「やりたくないことをやっている自分」という状態に、ただ居続けている感じ。
名前をつけてはじめて、「これはライスワークをやっている時間だ」と切り分けられるようになって。
ラベルひとつで、同じ仕事でも意味の持ち方がすこし変わりました。
最初はこの2つを、一本の仕事で満たそうとしていたんです。
社会人になりたての頃は特に、やりがいも収入も成長も全部同じ場所に求めようと、若干意地になっていたのかもしれない。
転職を繰り返す中で、一本の仕事に全部を求めることの限界が見えてきて。(そのあたりの話はこちら)
そこから「役割分担」に考えをシフトしてみました。
具体的には、こんなイメージです。
ライスワークは、ライフワークのパトロン(=後援者や支援者)みたいなもの。
生活を支えながら、新しい経験の窓口にもなってくれる。
本業に全部を求めなくなったとき、ライスワークへの見方がすこし変わった気がしています。
分けて考え、変わったこと
一番大きかったのは、転職に「すべてを解決する答え」を求めなくなったことだと思います。
環境を変えれば変わる、という発想がどこかにあったんですけど。
ライスワーク・ライフワークを分けて考えるようになってから、その執着がすっと薄れていきました。
本業で嫌なことがあっても、「これは新しい経験をする機会だ」と受け取れる場面が少しずつ増えてきたのも変化のひとつ。
今の仕事の捉え方を変えつつ、じゃあそこで得た資金・時間などをどこでどのように使うのかとか考えるようになったり。
うまく言えないんですけど、本業に依存しなくなった分、起きていることを少し離れて見られる感じになったんです。
ライフワーク(今は書くことやブログ)に力を注げるようになったのも、この考え方があったから。
仕事が全部じゃなくなると、仕事以外の時間の使い方も変わってきました。
これは諦めじゃなく、意識的な選択だと思っている
一見すると、「今の仕事に甘んじている」とか「やりたいことを諦めた」みたいに見えるかもしれない。
でも、自分の中ではそういう感覚とはちょっと違うんです。
どちらにも縛られない状態を、意識的に作っているという感じ。
ライスワークにしがみつかなくていいし、ライフワークを絶対に仕事にしなくていい。
その両方から自由でいられる分、動きやすくなった気がしています。
バランスはその人次第だと思うし、これが正解とは言えない。
健康や安全が脅かされているなら、それはまた別の話だけど。
「仕事に意味を見出せなくてつらい」というより、「仕事以外に意味を置けるようになった」という変化に近いです。
ライスワークという言葉、最初はしっくりこなかったけれど。
今は、自分の生活をちょっと楽にしてくれた考え方のひとつだと思っています。
同じように、最初はその言葉へ抵抗があった人に届いたらうれしいです。










